キモヲタ日記

自分語りが大好き

舞台を見て(人間として)

こんにちは

べんじー (@bnz_hnp) | Twitterです

 

演劇女子部主催BEYOOOOONDS主演舞台『アラビヨーンズナイト』観劇させていただきました。

新型コロナウイルスの影響で半年延期されてしまいました。

メンバー、スタッフの方や制作してくれた方々の、できることが限られている中でも舞台を成功させようという強い思いがヲタクに伝わりました。

ほんとに素晴らしい舞台でした。

ぼくもBEYOOOOONDS12人が揃う瞬間を心待ちにしていたので、ほんとに感動しました。

BEYOOOOONDSのヲタクでよかった〜と心の底から思いました。

小林萌花ちゃんの演じる音効さん(レイラ)の衣装がセクシーで、ベリーダンサーのような。

白いお腹と綺麗なおへそが眩しかったです。ほんとに幸せでした。

 

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ほのぴは体型作りにも余念がなく完璧でした。

やっぱりぼくの推しメンサイコー。

 

いっちゃんは透き通った歌声がとても素敵で心に沁みました。

まごうとなきお姫様でした。

島倉さんはパーツの大きな顔をこれでもかと使って、最後列まで演技を届けてくれました。

今回の舞台では個人的に1番の名女優でした。

西ちゃん、見ているこっちまで自信が湧いてくるような、パフォーマンスすることをほんとに幸せに思っていることが伝わりました。

早くまた西ちゃんの歌って踊ってる姿を見たいです。

さやちゃんはスタイルがいい。

コメディエンヌとしてこれからも活躍してほしい。

高瀬さんはとにかく苦心したんだろうなと。

とにかくやりきってくれてよかった。

こころちゃん!俺も石に変えてくれ!

幼い王感がたまりませんでした。

ゆはちゃん、結局あなたの舞台でしたか、、、

スターすぎて脇役ができない人。

みいみ。は〜JKか〜、、、

リボーンでの活躍っぷりから主役に大抜擢されたのだろうなと。

姫ちゃんはランプの精もといラップの精として舞台に色を。

ジーマジ卍。

平井さんはヘタレキャラが可愛すぎた。

またヘタレイケメンキャラが見たいですね。

ほのぴはほのぴにしかできないことを全力でやってました。

キャラ自体もほのぴ感バツグンの面白い子で美味しいですね。

うーたん!テレ朝女優!

歌上手くなってて感動しました。器用なうーたんが大好きです。

 

と以上がヲタクとしてのなんとなくの感想です。

 

ここから先はただの人間として見たアラビヨの感想や疑問点、改善すべき点等批判的な感想を書きたいなと思います。

ぼくはシャハリヤールに負けないくらいの砂漠の心(物語に対して)を持った人間なので、舞台中に思うことがいくつかありました。

ぼく自身のこの作品に対する理解度の低さや全くの誤解が含まれていることも考えられます。

おかしい部分があれば教えて頂きたいです。

 

思ったことのいくつかは高瀬さんのブログや脚本・演出をしてくださった太田善也さんのnoteを読んで解決解消されました。

 



 

ぼくは普段つまらない(とぼくが感じる)作品に関して何も言わないことにしているのですが、今回はいい機会だと思って批評、批判をまとめていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、この作品は決してつまらない作品ではなかったです。

ただ気になったのがブレてるところでした。

太田さんの今までの作品では考えられないほどの軸の弱さというか。

見終わって、結局なんだったっけと思ってしまいました。

心配になるレベルでした。

コロナウイルスの影響で舞台に本来用いるはずだったセグウェイ、一輪車を使用しないという変更点がアナウンスされていたので、それ以外の部分では変更点は無いのかと勝手に考えていました。

しかし、どういうわけなのか脚本を大幅に変更。

高瀬さん演じるジラというキャラが魔女からただの口うるさい乳母に変更されてしまったのです。

おそらくその影響なのか、何か他で変更があったためにジラのキャラが変わったのかわかりませんが、とにかく何か大事な展開が失われてしまったんだろうなと推測してます。

アラビアン・ラプゾディという11分超の組曲に対する思いが強かったようで、その構想が崩れてしまい、今回のような内容になったのだと思います。

ぜひ変更前の脚本も読みたいものです。

 

具体的な感想、疑問点等を挙げたいと思います。順番に意味はないです。思いついた順とかより意味がないかも。

 

・レッドムーン伝説を王が悪用しようとしなかったのはなぜか

・ジラはなぜ王と生活できているのか

・脚本家としての荒井美鈴

・しとねは演出家?

・美鈴としとねのその後

・音効さんのキャラ

・盗賊・他のキャラ

・日本の名作disがヤバい

・ラブレターは代筆でいいの?

・批判しにくい作りになっている

・アラビヨのテーマは愛の形だったのか

・そもそもどのような観劇スタイルが望ましいのか

 

すでにTwitter上で投げた疑問や批判もあります。

 

 

 

シャハリヤールはなぜレッドムーン伝説を悪用しようとしなかったのか?

ジラはなぜ王と生活できているのか

 

シャハリヤール王は記憶を失っていた説

森の魔女(森?)に魂を売って国を奪うことのできる力を手に入れた

=幼い頃の幸せな記憶を魔女が奪い、対価として人を石に変える能力を与えたのではないかという考えです。

レッドムーン伝説はバルシアの伝説。

100年に1度赤い月の晩に願い事が叶う。

流れ星ですら光ってるうちに3回もお願いしなければならないのに、この伝説はあまりにもゆるい。

シャハリヤールとシェヘラザードは幼い頃から物語を話すのが好きだったみたいなので、おそらくこの伝説についても2人の間で物語を作った、語り合ったでしょう。

シャハリヤールがもしこの伝説を覚えていたなら、自分の魔法と権力を絡めて悪用してきそうなものだけれど。

さすがに子供向けのおとぎ話だと思っていて本気にしていなかった気もするが、気に入らない人間を石に変えることのできる能力を使っているのでその辺のファンタジーも受け入れそうな気するけど。

この辺も力を手に入れた代償として記憶を失ったのならば腑に落ちます。

 

砂漠の話なのに森の魔女?

魔女ジラが王に与えた魔力によって豊かな土地がシャハリヤールの心のように砂漠に変わってしまったのではないかと推測しています。

魔女は(バルシア王国の)人間になんらかの恨みを持っており、復讐を果たすためにシャハリヤールの弱い心につけ込んだのではないかと。

劇中劇「アリアとエリー」(仮題)では森に住む魔女の親子の話が語られており、おそらくその内容に近いことが魔女ジラにも起こったのではないかとも考えられます。

命がけで人間を救った娘エリーが人間に惨殺されてしまい、魔女は復讐を企てる、、、

 

初期設定がこの通りであったとしたら、テーマは愛だけでなく愛と憎しみになってしまっていたでしょう。

 

設定が変更されて、ジラが魔女から口うるさい乳母に変わってどのような疑問が生まれたかというと、乳母はなぜ傍若無人な王の側にいて無事でいるのか。

ぼくがシャハリヤールなら兄弟や両親とともに石に変えてしまっていたでしょう。

魔法を使って王を操っていたとしたら、なんでも気に入らないものを石に変えてしまう王の側にいて無事であることにも納得がいきますが。

 

描かれてはいませんでしたが、おそらくシャハリヤールにとって唯一の味方であり、実の母親のように思われていたのでしょう。

実の家族から酷い扱いを受けていたシャハリヤールを育ててきたのは乳母ジラ。

ただの口うるさい乳母ではなく実はシャハリヤールに深い愛を注いでいたのです。

終盤では乳母ジラが「愛は人を理不尽な行動に駆り立てる」と言っていました。

その通りだと思います。

初見ではジラが魔女だろうなと踏んでいたので、このセリフにはほんとに驚きました。

どういうオチが来るのか予想できなくなってしまいました。

乳母ジラの母性と大きな愛情が透けて来なかったのが少し残念でした。

王のためなら命を捧げると言っていたのでその辺のエピソード1つあれば、高瀬さんも役を演じやすかっただろうなと思います。

いつかシャハリヤールが改心して、本当の王としてバルシアを統べるときに隣国との戦争や兄弟との地位争いのために丈夫な体が必要であると考えて、シャハリヤールが好き嫌いしていたひよこ豆と柘榴のスープも食べさせていたんだろう、とこちらに思わせてくれるような何か1つ欲しかったです。

王が気に入らない女性を全員石に変えてくれるのを期待していたのでしょうか。

シェヘラザードにやきもちを焼いていたのかな。

子離れできない親そのものとして描きたかったのだろうか。

 

 

 

脚本家としての荒井美鈴

 

高1で親友のしとねにラブレターの代筆を頼まれた。

しとねはそれを読み、自らが所属している演劇部に脚本を書いてくれるようさらに依頼。

初めての作品が素晴らしいものだったので美鈴にも弾みがつき、次々と演劇部に脚本を提供。

 

しかし、肝心の脚本家荒井美鈴の作風が透けて来ない。

処女作は素晴らしい作品だったそうだけどどういう作品だったっけ、、、

夢の中で最新作「レッドムーン」(仮題)について美鈴は、伏線を回収し、どんでん返しもあると言っていた。

丁寧な作品作りを心掛けていたのだろうか。

 

しかし、その考えはどうも違うのかなとその後思わされることになる。

バルシア王国に来てから美鈴が書いたのは

竹取物語

花男、花君

ドラえもん

のオマージュ(名作のパクリ)

美鈴は日本でもこんなものでばかり書いていたのではないかという気がしてくる。

作品に大切なものが欠けてる以前にオマージュばかりなのに自信をつけた美鈴の方が大切なものが欠けているのではないかと心配になった。

最終的には王へのラブレターとして立派な脚本を書き上げたが、、、

 

 

 

しとねは演出家?

 

日本では美鈴の脚本をしとねが演出していたそうだが、バルシア王国に来てからしとねが演出に加わった描写がない。

美鈴が私の脚本をいつも演出してくれるとシェヘラザードたちに紹介し、(確か、演出はしとねに任せてとも言っていたが)バルシアに来てからしとねは演出として劇に加わった描写がない。

 

この子は石にされるためだけにバルシア王国に連れてこられたのか。

しとねが演劇部である必要が弱い気がする。

単に親友美鈴の書いた劇を見て感動して1番のファンになったくらいでいいと思う。

バルシアに来てからは美鈴の脚本を待つばかりで完成した作品を見ているばかりであった。

石に変えられる危険を顧みずに暴君シャハリヤールにお願いするシーンでは思わず感動したが、演出家である必要性がなかったと思う。

親友ならば2人で劇を作ってきた、異国の地に飛ばされて来ても2人で力を合わせて王に立ち向かうという王道青春描写が欲しかった。

しとねの必死の演出、そして命をかけて美鈴の作品は素晴らしいと主張した姿を見て、美鈴が本当に大切なものに気づき王の心を改心させる。

美鈴の成長についてももう少しスポットを当ててほしかった。

 

 

 

美鈴としとねのその後

 

バルシアでシェヘラザードの願いを叶えて現代日本?に戻ってきた2人。

スクリーン上に2人のその後が気になりますよね?と表示されて「それはそう」となったがズッコケてしまった。

2人が帰ってすぐのことなどそこまで興味ない。

気になるのは美鈴の書き直した脚本とその評価と美鈴が自信を取り戻せたのかどうか。

親友と素晴らしい経験をして大事なものを自分の中に見つけて演劇の脚本を書き直す。

素晴らしい脚本を書き、今度こそ美鈴は世間に評価され本物の自信を手に入れる。

この作品にはジュブナイル作品としての側面がある。

少年少女が夢に向かって努力したり、乗り切れない困難にぶち当たって挫折したり、成長していく姿を描いた作品は大好きだ。

 自分が夢のような世界で体験したことを題材にした内容に書き直すそうだが、バルシアでオマージュしまくっていたところから果たして成長した、気づきを得たのだろうか不安になる。

思春期の女の子なんてそんなもんと割り切った考えもできるが、せっかくならばもう少し暖かい結末にしてもよかった気がする。

 

 

 

音効さんのキャラ

 

上の疑問点に比べたら些細なことになってしまう。

本筋とは関係ないかもしれない。

一応小林ヲタクとしてではなく、人間として書くつもり。

 

千夜一夜物語のキャラたちが集まって存在理由について考えていたときに「仕事」と答えていた。

割り切ったところがあり、仕事に私情は持ち込まないタイプのキャラなんだろうと思った。

しかし終わりの方では、シェヘラザードとシャハリヤールの結婚を認めないジラに対して怒りを覚え、力づくで改心させようとする。

モブキャラに対して細かな描写は必要ないとは思うが、気になってしまった。

シャハリヤールのために演じていた、劇を届けていたのは仕事のためと答えたのはレイラの冗談だったのだろうか。

小林萌花が面白いから成立してるだけではないかと思う。

最後の骨をボキボキ鳴らすシーンは要らない。

 

色んな愛の形を描く上でレイラが担当する愛は仕事への愛で貫いてよかったと思う。

仕事にやりがいを持って取り組み、自分にしかできないことを必死でする。

立派な愛の形の1つであると思う。

シェヘラザードの作ったキャラたち一人一人にも愛の形を与えても面白かったと思う。

 

 

 

盗賊・他のキャラ

性別についての設定がややこしすぎる。

あえてぼやかしたのか。

 

そうすることによって見えてくる愛の形とは一体なんだったのだろうか。

 

劇中劇「花男、花君」(仮題)ではS4と呼ばれるイケメン4人組を演じていたアミン。

他のメンバーは全員男であったが、オマージュにしている『花ざかりの君たちへ』自体が主人公の性別が実は男ではなく女であるという奇抜な設定であることもあり、余計にややこしくなってしまっている。

 

性別がわかりにくいのはアミンが劇中劇の中で色んな役(盗賊・他の"他"に相当する部分)を演じていたためでもある。

むしろ性別をぼかすことで、多彩なキャラを演じやすくなっているとも思われる。

 

これはふつーにヲタクとしてのガチな不満だが、モブキャラ扱いのような役名にヲタクがショックを受けることも考えてほしい(テーマが愛ならば)。

里吉さんが器用に色んなキャラを演じている姿を見れて嬉しかったが、役名キャスト発表のときは悲しくなってしまった。

平井小林里吉の3人がアイドル活動においても名前が欲しいのよ〜♪と歌っていることもあり、ちょっと悲しい。

 

 

 

単純に日本の名作disがヤバい

 

散々パロっといて王様につまらないと言わせるのどうなん?笑

もちろんそんなつもりは当然ないだろうし、主張はきっと自分の気持ちがこもってないパロディだからよくないみたいなことを言いたいんだろうけど。

 

王様が美鈴の作品を突っぱねたのは心の泉が渇いていたからみたいな描写もあるが、シンプルにシェヘラザードと一緒にいたかった、シェヘラザードの話を聞きたかったくらいでよかったと思う。

それくらいの可愛いキャラでよかった。

魔女に洗脳されていたわけでもないので。

心が渇いてるぼくからしても上の4つの作品は素晴らしい作品だと思います。

日本特有の文化とバルシア王国での文化の相違から来たんじゃないかとシェヘラザードが王を宥めるが、文化の違いみたいなところまではほとんど描かれていない。

シェヘラザードがWiFiスマホを知らなかったくらいでそれは文化の違いではなく別の時空で発展した技術を知らなかったためである。

アラビアンな文化やルールや倫理観のようなものもあるとよりアラビアンナイトに没入できたが、この辺の雰囲気づくりは衣装や音楽で十分に行っていたのでぼくの感受性に問題があると考えられます。

 

 

 

ラブレターは代筆でいいの?

 

"物語は書き手から送る読み手へのラブレター"というのが今作のテーマ。

ラブレターを書く上で大事なのは着飾らずに相手のことを思って素直に気持ちを伝えること。

脚本や物語においても伏線回収やどんでん返しではなく読み手、観客を考えて制作することが大事。

これが美鈴の処女作以降の作品において忘れられてしまった大切なこと。

 

しかし、しとねもシェヘラザードもつまるところやってることはラブレターの代筆。

美鈴に脚本はラブレターって言ったのしとねじゃなかったっけ。

相手に素直に気持ちを書くのが大事ってあなたは何回か代筆頼んでますけど、、、笑

美鈴(書き手)→シャハリヤール(観客)の愛は十分に描かれていたと思う。

シェヘラザード→シャハリヤールのラブレターも最終的には欲しかったかな、と。

 

美鈴が最後にシャハリヤールに用意した物語を聞いてシャハリヤールはこんな結末はおかしいと叫ぶ。

その後美鈴が別の結末を用意していると言ったときに、これは美鈴が大切なことを思い出し、脚本がラブレターであることを理解したので最後はシェヘラザードからシャハリヤールに物語=ラブレターを送るようにその場でシェヘラザードに無茶ぶりをしているに違いない!と超速勘違いをして初見では大興奮したのですがそういう展開にはならず。

 

 

 

批判しにくい作りになっている

 

荒井美鈴の「書かない人は好きなことを言えていい、産みの苦しみをわかってない」、口うるさい嫌な役乳母ジラの「矛盾が気になって頭に入ってこない」、シャハリヤールの心は渇いており、改心しない限りは物語に感動することができない等、物語に批判的な感情を持つことにネガティヴな印象を与えられる。

もちろん創作物に対して否定的な意見を言うことはよくないことかもしれないが、それは製作者が言うべきでないことだと思う。

この辺は個人的な芸術観、好み、信条によるものなので、まあそんなに。

 

 

 

アラビヨのテーマは愛の形だったのか

 

実際に観劇してみて、メンバーのブログを読んでみて、おおよそこの劇のテーマは"様々な愛の形"であることがわかった。

 

友情

美鈴としとね

 

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メタテーマとして、ファンや観客に対しての感謝や、そもそもなぜ舞台や劇を上演するのかという存在理由については見てくれる観客のために、みたいなものが据えられていた。

これは、コロナの影響でツアー、舞台が延期になったりしておそらく舞台のテーマ的なものを変更してくださったんだと思う。

コロナは悪影響ばかりだったが、メンバーもヲタクもお互いがお互いの大切さを再認識し、そしてメンバーもヲタクも自分自身の存在意義や本当に好きなものがわかった大事な期間にもなったと思う。

この舞台はお互いにとって舞台の内容以上の意味を持った大事な作品になったと思う。

その気持ちにだけ従って感動だけで終わることもできたが、どうしてもいろいろ気になった。

 

 

そもそもどのようなスタイルで観劇すればいいのか

 

最後は舞台の内容に関係ない話になるが、ぼくは舞台観劇経験が全くない。

観劇ルールがわかってない。

新型コロナウイルスのためにほとんど座席間隔も空いており、大人しく座っててねーという雰囲気、舞台に限らずハロコンであってもそんな感じだったので声を出してのリアクションや声を出して笑うことは控えていた(つもり)。

これがもし今まで通りの生活の中であれば、どのように参加するべきなのか、それとも観客はあくまでも見るだけなのか。

美鈴としとねコール等に観客も参加していいのか気になる。

その辺は空気を読んで上手いことやっていきたいです。

 

拍手を始めるタイミングの早い人がいたことも少しだけ気になった。

最後にスクリーンにFin.と表示される前から拍手されるとここで終わりかいとなってしまう。

ほぼほぼ終わりかけの雰囲気出てたから別にそんなに気にはならないけど、ある種のネタバレであると思うので自分はとにかく気を付けたい。

 

 

 

以上。

舞台観てみて「なんだこれ?」と首を傾げてしまったが、それは脚本や設定、演出に大きな変更があったためだったからでした。

千秋楽から1週間くらい経ってしまって少し投稿が遅くなってしまった。

批判の記事を書くためですらこんなに時間がかってしまった。

本当に0から物を作るということは本当に大変なことなんだろうと思う。

BEYOOOOONDSらしさが溢れるBEYOOOOONDSにしかできない素敵な作品にまた会いたい。